母親は家庭の太陽である
偉大な大業の責任者
いよいよ私の後述も、最終の章を迎えることになりました。
思えば第一章より、思い切って、多少はお聞きづらいこともあえて遠慮しないで申し上げてきました。
人によってはあるいは多少抵抗を感じられた方もおありかと思います。
現在皆さん方のお育てになっておられるお子さんたちのおひとりおひとりが、すべてこの日本を背負って立ち支えていただかねばならぬ方々ばかりなのです。
それゆえ、私がとりわけ母親の方々に特に厳しく解きますのも、実は母親というものは、家庭における偉大な大業の責任を持っておられるからです。
そもそも我々人間にとって、家庭というものは「人格形成の道場」と言えると思いますが、そのような家庭教育の中心責任者は、我々男子ではなくて実に女性なのであります。
我々男性は、その精魂を傾けて働く場所は、広い社会におけるそれぞれの職場であります。
ところがこれに反して家庭という世界においては、その中心責任者は、実は皆さん方女性の方々なのであります。
ところが最近、どうもこの点に対する理解と認識が、ともすれば若い女性の人々の間で欠けやすいようであります。
それも未婚の間ならまだしも、結婚後もなおかつこの点に対する自覚の不十分な女性が近頃少なくないようであります。
そうした場合、当の本人の不幸は申すまでもありませんが、そうした無自覚な女性の被害を最も深く受けるのは、実は頑是ない小さな子どもたちではないかと思うわけです。
と申しますのも、幼くていたいけな子どもたちの受ける被害は、相手がまだ小さいだけにより深くして大きいのであります。
つまり、そういう女性を母親として育てられた子どもたちは、一生の運命を根本的に逸脱せしめられるからであります。
それというのも、そういう母として真の資格のない女性を母として生まれた子どもたちは、いったいどういうことが人間として良くないことか、あるいは恥ずかしいことかなどということが分からぬまま育って、そのままやがて大人となるからです。
家庭の太陽
そもそも女性というものは、何よりもまず家庭の人々の心を温かく包んで、わが子を素直な、かつ人に対して温かい思いやりのある人間に育てねばならぬのに、心なき女性にかかりますと、まるで嵐が冬枯れの野原を吹きまくるように、家中の人々の心を吹き曝すのであります。
女性の徳として最も大事なことの一つは、昔から「堪え忍ぶ」ことが貴ばれてきたのは、女性は常に自分の激情を抑え、そうすることによって、家族全員の心を吹き荒らすようなことのないことが、何より大事だからであります。
ですから世の心ある人々によって「女性は家庭の太陽である」と言われるのも、実はこうした真理をいうわけです。
すなわち、女性は「家庭」という王国にあっては、まるで太陽のように、家族全員の心を温めて、そのもろもろの生命を育むこと、あたかも地上の樹木に対する太陽のようなものだというほどの意味なわけです。
それゆえ、もし太陽であるはずの女性に、そうした自覚が欠けているとしたら、その家はまるで曇天のようであり、あるいは夕暮れ時のようであったり、さらに甚だしい場合には、夜中に寒風が吹き荒れているような家庭さえ、時にはないでもないわけであります。
母親の幸せ
そこで一転して、いったい女性の幸福とか、母親の幸せというものはいったいどういうところにあるのでしょうか。
その前に参考として男の幸福は、と考えてみますと、結局自分の仕事に対して、一切後顧の憂いなく打ち込めるということだといってよいでしょう。
そしてこうしたところから、男性に必要な性格としては「勇敢」とか「大胆」とか、さらには「剛毅」「果敢」とかいうような徳性が必要とせられるゆえんでしょう。
ところかこれに反して女性のほうはどうかというと、その幸福はこれも結局は二つに分かれるわけです。
それはただいま申したように、勇敢で強くて頼もしい男性を夫として持つということ。
同時に、そうした頼もしい男性との間に生まれたわが子を正しく育て、かつ教育するということでありましょう。
すなわち、これによってもわかるように、女性の幸福とは、直接自分の特徴とか個性を発揮することよりも、夫をして後顧の憂いなく、雄々しく敢闘させるとともに、子女を健全に育成するという任務を、立派に果たすことだと言ってよいでしょう。
私はこうしう幸福感こそは、女性の幸福感としてもっとも本質的な原形というべきかと考えるのですが、この頃ではこの原形からかなり逸脱し、変質しかけてきた傾向がみられるようです。
これは戦後、アメリカ文化の皮相を移入したことが、その原因かと思われまして、誠に深憂に堪えない次第です。
そもそも女性というものは、家庭における太陽であるとともに、民族における「大地」にも比すべきものと言えましょう。
なんとなれば、女性は子を産みかつ育てるという民族の神聖な使命を負わされているがゆえです。
したがって、女性の弛緩は民族の弛緩となり、女性の変質は民族の変質につながります。
言うなれば、民族の将来は女性のあり方如何によって決まると言っても決して過言ではないわけです。
かくして民族の将来という点からも、はたまたわが家・わが子の将来という点からしても、母たり妻たる女性の責務は重大であり、我が国の教育再建の根本も結局は母親の叡智と愛情によると申せましょう。
どうかわが子を立派な人間に育て上げることに、女性としての真の生きがいを感ずるような真の母親になっていただきたい、という私の深い心願をもって、この講述を終わることにしたいと思います。
「家庭教育の心得21 母親のための人間学」(森信三著)21より
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女性は家庭の将来、ひいては民族の将来、そして究極的には国の将来という神聖な使命を負った存在であるという認識は崇高ですね。
現代はしきりに女性も社会で働くことを推奨したり、あるいは子どもを産んだ母親が再び社会って働くことが勧められています。
生産人口が減少していること、男性でも非正規雇用が増えていることなど、様々な理由により、女性の社会進出が進んでいます。
3〜5年というスパンではそれで経済活動を支えていく力になるとは思いますが、20〜30年というスパンで見るとどうでしょうか。
つまり、今の働く世代の子どもたちが大人になった時に、母親から人間教育を受けていない過程で、どんな大人になっていくのでしょうか。
必ずしもよいイメージはわかないと思います。
そうした20〜30年というスパンで見た時に果たして子どもを産んだ母親が働くことは果たしてよいことのなのでしょうか。
私の妻はある大企業で正社員として働いていますが、子どもは保育園に預け、夜は19:30頃に帰宅します。
そのあいだずっと保育園に預けています。
当然、保育園の先生方から、良いこと、悪いことの価値基準はある程度、教えてもられると思います。
しかし、どうしても集団単位の教育なので、きめ細かさに限界が出てくるはずです。
そしてなにより、子どもたちにとって母親の存在は理屈抜きの絶対であって、その母親とかなりの時間離れているのは子どもの精神状態に与える影響も大きいのではないかと思っています。
仕事をやめてほしいとは思っていませんが、もう少しセーブしてもらえないかと思っていますが、人としての価値観のレベルの話にもなってくるので、カンタンな話ではないと思っています。
女性は家庭に入るか、社会進出して仕事をバリバリこなすか、という二元論で判断するべきではないと思いますが、少なくとも女性として生まれたからには、子どもを生み育てる能力、役割を与えられています。
男性にはありません。
子育てよりも仕事のほうが楽しい、という女性も少なからずいると思いますが(私の嫁がそうです)、男性にはない、女性だからこそ与えられている役割と能力を優先してほしいと思います。その上で仕事をしていくのであれば、全然ウェルカムです!
こうした考えもきっと小さい頃からの教育なんでしょうね!
女の子が生まれた時には、この辺りの教育をきっちりとしていきたいと思いました。
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