五 職場の人間関係
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仕事
人間の宿業
世は正に「激動・激変の時代」と言われています。
それは全く幕末・維新の感を禁じ得ないほどです。
では現代という時代の特徴を認識する上で大事な鍵は何かというと、ひとつは多極化ということであり、一つはスピード化だろうと思われます。
しかしこの2つは相関関係であって、この多極化ということも、スピードアップより発生した副産物と言えます。
一言で言えば現代はめまぐるしいスピードの時代と言えるでしょう。
こうした激変の時代に、しかも経済の低成長時代に生き残るために、各企業は文字通りシノギを削っています。
それゆえ企業においては、技術革新の寵児であるコンピューターの導入によって、経営の合理化をはかる一方、人間組織体の強化をはかるべく企業内教育が盛んに行われるに至っています。
しかもその企業内教育の三大眼目について各社の目指すところは、
1 いかにしてモチベーションを高めるか
2 人間関係のひずみをいかに是正するか
3 自己啓発と健康管理はどうあるべきか
ということになっているようであります。
企業内においては、人間関係の重要さが説かれだしたのは、直接的にはアメリカからの移入と思われますが、戦後の我が国においても、次第に人間関係のひずみが生じ出したからでしょう。
一面からは人間関係こそは、いつの時代においても人間のもつ「宿業」に根ざすものゆえ、問題の絶え間がないといえます。
長たる者の心がけ
では、この「人間関係」について考える時、一番大事なことは何かといえば、言うまでもなく結局は「和」ということでしょう。
ところがこの「和」を生み出すには、一体どうしたらよいかが問題となるわけで、この点こそ「人間関係」において一番大切な、同時にまたもっとも困難な点だといえます。
ところで、この点に関して一番大事な問題は、わたくしは上位にある人が「無私」でなければならぬと思うのであります。
実際、長たる人にとって、この「無私」の精神ほど大切なことはないと言えるでしょう。
そしてこの「無私」の精神は、やがてそれが人々に対する時「公平」な態度となるわけで、いわゆるえこひいきというものがないということです。
実際、人の上に立つものが、部下に対して不公平な態度があったり、いわんやえこひいきなどするとしたら、たとえその人が専門の技術の上では卓れていたとしても、そういう人には、部下は決して信服はしないでしょう。
ところで部下が上長に対して、人間的に信服しないとなると、その団体なり集団の統一に緩みを生じてくるのは必然であります。
しかも統一に緩みを生じた集団ないし団体というものは、真の力を発揮することができなくなるのは言うまでもないことです。
次に長たる者として大事なことは、部下の一人ひとりの人間の真価をハッキリ認識するということであります。
この点も、結局のところ「無私公平」の精神無くしては、真の認識には至り得ないと言えましょう。
その上に長たるものの心がけとしては、部下に対する人間的な温情というか、思いやりがなくてはいかに長たる人に専門的な実力があったとしても、部下の信服に欠けるものがあると申さねばなりますまい。
同僚関係
さて人間関係というものは、ひとり上下関係だけでなくて、横の関係、すなわち同僚関係も免れぬものであります。
ところがこの同僚関係というものが、また実にむつかしいものだといってよいでしょう。
ではその根因は何かというと、結局それは、われわれ人間には「嫉妬心」というものがあって、これは非常に根深い人間的情念だと思うのであります。
そもそも嫉妬心とは、自己存立の根底をおびやかすような強力な競争者が出現したとなると、どんな立派な人といわれる人でも、この嫉妬の念なきを得ないのでありまして、唯それをどこまで露わに表わすか否かが、その人物の人となりとか、教養によると言えましょう。
とにかくこの嫉妬の情というものは、われわれ人間には、普通に人々の考えている以上に根深いものですから、これが「人間関係」を傷つける、恐らくは最深の因といってよいでしょう。
すなわち、たとえ上位にある人自身は事を公平に処しても、部下の人びと相互の間には、つねにこの嫉妬の念がはたらいているわけですから、事はけっして容易でないわけです。
では、このような嫉妬の念を克服するには、われわれ一体どうしたらよいでしょうか。
それは、自他の実力及び人間的真価をありのままに認識する他ないと思うのであります。
そしてその際もっとも大事なのは、やはり「無私」という精神的態度であります。
すなわち、その実力において自分より卓れている人に対しては、その実力が自分より勝っていることを、冷静かつ公平に認識するということであります。
そうしますと、嫉妬の焔もしだいに薄れて、我が心も自然に落ち着きを取り戻すのが常であります。
上位者に対する心がけ
では次に、上位者に対する下位者としての心がけは、一体どうあるべきでしょうか。
原則としては、上位者の命には忠実に従うということです。
そしてよほどの場合でない限り、それに対して批判がましいことは言わぬということでしょう。
それはなぜかというと、一部下にすぎない立場と、広く全体を見渡して責任を負っている立場とでは、ものの見方に非常な相違があるからです。
その代わり、もし上位者から意見を徴せられた場合には、卒直坦懐に自己の所信を述べるのが良いと思います。
ただし、その場合といえども、立場の相違にもとづく見解に広狭のあることは、やはり忘れぬようにしたいものです。
ですから仮に、上位者から意見を求められた場合といえども、あまり調子に乗って批判がましい印象を相手に与えぬような心がけは必要だと思います。
同時にこうした点について、私に忘れがたいのは、かの岡田式静坐法の創始者たる故岡田虎二郎先生のコトバと伝えられる「上位者に食って掛かって、自ら快しとする程度の人間は、真の大器ではない」というコトバで、今もって忘れがたい言葉です。
また会社の帰りに、縄のれんをくぐっていっぱい引っ掛けながら上位者の悪口を言っては、溜飲を下げる程度の人間も大したものではないと思うのです。
次に上位者に対して、下位者として守るべき今一つの心がけは、上位者に対して媚びへつらわないように、ということです。
すなわち上位者に対しては、いたずらに反抗もしないと同時に、また反面、これに媚びへつらったりしないということです。
というのも媚びへつらうということは、人間として卑しいことだからです。
同時にまたそれ故に、当の上位者からも、かえって軽んじられる結果となることを知らなければなりません。
「森信三先生 父親人間学入門 5」 寺田一清著
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森信三先生は職場というものへの洞察も鋭い人だと思います。
それはつまり、学生への教育だけでなく、社会人の教育ということも同時に視点として持っていたからだと思います。
さて、職場の人間関係。
人間関係ほど、不合理で難しいと思われ、一方で仕事の効率、やりがいを決定づけるものはないと思います。
仕事は1人ではできず、かならず協力者との協働がどこかに必要。
そのため、どんなに素晴らしい仕事をしていても、人間関係がギクシャクしていたら、うまく進まず、結果、やりがいも見いだせない。
一方で、誰ができる仕事であって、人間関係がよければ、それがその人のモチベーションとなり、組織への貢献という意識につながっていきやりがいが見いだせるようになります。
では人間関係を決める一番の要因は何かというと、それはまずもって組織のリーダーではないでしょうか。
リーダーの人がら、人格が組織の色を決め、その色での人間関係を築いていくのだと思います。
だからこそ、リーダーが尊敬できるような人間でないと、部下は組織への貢献を考えようとせず、バラバラになってしまう。
逆に、リーダーが尊敬できる人であれば、組織としてまとまり、個人の力が掛け算で組み合わさって大きな力になるのではないでしょうか。
リーダーとしては無私の精神、メンバーとしては自立心を持ちつつ組織に対する貢献を念頭に、仕事に取り組んでいきたいと思います。