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一生の見通しと設計

公開日: : 人間教育, 教育

洞察と先見

前章においてわたくしは知慧のはたらきについて説明しましたが、これらの種々層を支える最も基盤的なものは、人間心理の洞察ではなかろうかと思います。

将来の見通し、すなわち先見の明の問題にしても、その根本に人間心理の洞察という心のはたらきが内に秘められているように思われます。

そしてこの洞察ということは、単に書物を読んで学びうるものはごくわずかの断片に過ぎす、ましてや大学で心理学を勉強したから身につくなどというものではないのではありません。

すでに一般の企業においても、洞察と先見の明が問題として取り上げられ、少なくとも5年先を見通した上で計画し、軌道修正と新規開拓を目指すべきであると言われています。

しかし、実際にはこれがなかなか至難なことで、そのためには一つの大局観がなければならぬわけです。

これはいわば一つの企業哲学であって、この「観」と「察」が先見力を生むものと思われます。

一般に事業で成功した人は、運の強さもありますが、しかしこの洞察と先見おいて優れた人が多く、かの阪急鉄道の創業者の小林一三翁のごときは、最も先見性に優れた人と言っていいでしょう。

また政治家としては池田勇人氏といった人が先見力の面で特に傑出して入るといえるのではないでしょうか?日本経済の高度成長の礎を築いた功績は、高度成長のために幾多のマイナス現象が見られたにしても、当時の総理池田勇人氏の先見と決断は、注目するべきものと言えます。

また歴史上の人物では、何と言っても徳川家康こそ、最も洞察と先見に富んだ武将だといっても、おそらく誰一人異存はないと思います。

ところで、このような洞察力と先見力は、もちろん後天的な百戦錬磨によって磨かれ鍛えられるのでありましょうが、しかしそれはまた、先天的な素質によるものとも思われます。

ましてや今日のように変動のテンポの早い激動激変の時代においては、世界の動きや民族の将来についてはもとより、十年先の経済界の変動についてさえ、予見予測は容易ではないと言えるでしょう。

 

人生の通観

ところで、社会の前途に較べてわれわれ個人の将来は、ある意味ではだいたいあらましの見当がつきます。

というのも、社会には始めもなければ終わりもありませんが、わたしたち個人の一生は、誕生という「生」のスタートに始まって、だいたい80〜90年以内に、必ず「生」の終着駅を迎えるからです。

つまり人生には始終というものがありますから、そこからして人間の一生というものはおおよそ見通しや見当がつきます。

ですから、人生を通観し、二十年先、三十年先までも、あらましの見当をつけておくのが賢明な人と申せましょう。

そこで、そうした大観的な見通しをつける上で、一番学びやすき典型的なものは、やはり例の「論語」の志学章でありましょう。

すなわち「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」というのであって、人間の一生の精髄ともいうべき点を、これほど端的明白に示したものは、他に見当たらぬと言ってよいでしょう。

 

50にして

 

一生の基礎形成期

このように、人生には十年ごとにひとつのサイクルがあるわけですが、15歳から30歳までは、人間の修行の時代であろうと思われます。

では30才代は何かというと、われわれ人間にとって、一生の基礎形成期だと言えるでしょう。

実はわたしはかなり若いころから、この点を問題として色々と考えたり研究してみたのですが、古来優れた人々について見ても、それらの人のほとんどがみな30歳代という10年間に、一生の基礎づくりをしているようなのです。

私には政治界とか実業界のことはよくわかりませんが、少なくとも私自身が関心を持っている、学問とか思想の方面について見ても、優れた人と言われるほどの人は、ほとんど例外なく30代の十年間に、その人の一生の土台を築いた人が多いのであります。

我が国では有名な中江藤樹先生がそうですし、また中国の王陽明という学者なども皆この30代の後半であり、また法然・親鸞・道元というような宗教家も同様に30代というものは人間の基礎形成期だったと言ってよいようです。

それというのも真剣に人生の生き方を求めていたら、三十才台は自立と開眼の年代だからなのです。

人間の一生をいちおう75歳前後とすると、幼少の頃を差し引くとすれば、この35歳前後というものは、いちおう人生の二等分線にあたるわけです。

人間もこの人生の二等分線という山の頂き立ちますと、それまで少しも見えなかったところの、やがてかえりゆくべきわが家、すなわち人生の終末が見え出してくるのです。

そこで、それでは男ざかりともいうべき30歳代の十年間を一体どう過ごすべきかということになりますが、一言でいえば「自己教育」ということです。

言い換えると求道的な生活態度といってもよいでしょう。

「自己以外すべてわが師なり」として、自分の勤め先の仕事、ならびにその人間関係は言うに及ばず、それらを取り巻いて生起する一切のできごとは、すべてが人生の生きた教材であり、自分の先生になるわけです。

 

自己充実と貢献

では、40歳はどうでしょうか。

人間40歳ともなれば、いちおうその職場における責任ある立場に立たされるわけで、家庭的にも子どもはすでに小学高学年もしくは中・高生に成長しており、父親の権威が問われる年代になるわけです。

それゆえ、職場においても家庭においても実に責任重大な年代である以上、一段の自己充実を要する年代であり、仕事の面でも、自分なりに一応の結実をはかるべき年代と言えます。

それにつぐ50歳代はどうかというと「50にして天命を知る」というコトバの通りに、仕事の上で大した飛躍も冒険も許されない年代であり、いよいよもって天命を畏み、自らに与えられた使命の一道を果たすべき年代です。

その上に、後進の指導にも一段と拍車をかけ、社会的にも何らかの奉仕貢献を心がけるべき年代と言えます。

では60歳代はどうでしょうか。

60歳となると一般には定年を迎えて第二の人生に突入するわけですが、60歳はまた還暦とも言われるように、もう一度人生の原点にもどり、改めて人生修行を志さねばならぬ年代と言えます。

論語にも「耳順」の年とあるように、年齢をとわず、とりわけ若い人々から改めて聴き取り学ぶ態度を失ってはならぬと思います。

それゆえ60歳代は聴聞修行の年代と言いたいのです。

私はいつも申しておりますが、人間は一生のうちに、少なくとも三度偉人の伝記を読むべき時期があると思うのです。

その第一は、小学校の5・6年から中学・高校時代にかけての時期であり、第二は、三十代の前半から後半にかけての時期であり、第三は、60歳辺りから最晩年にかけての時期であります。

ではどうして人生の晩年ともいうべき時期に、もう一度伝記を読む必要があるかというに、それはいわば人生の撤収作戦の仕方について、古人ならびに先人に学ぶべきだと考えるからです。

このように、人はそれぞれの年代に応じて真剣な生き方をしていくと、70歳代、80歳代は、まことに自由闊達な境涯が恵まれて、真の生きがいある人生が送れるのではないかと思います。

ですから、以上のように人生の見通しを立てると共に、今ひとつ、日々の脚下の実践に全力を傾けることが大事であり、しかもそうした脚下の実践にどれほど真剣に取り組めるかどうかということこそ、その人の人生に対する徹見透察の如何によるといってよいと思います。

 

「森信三先生 父親人間学入門 3」 寺田一清著

 

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私は今34(2015時点)ですが、30歳代、40歳代、50歳代の生き方の見通しを立てるということはなかったと思います。

30歳代は自己教育の年代とあります。

今こうして、子供が生まれて、どのように育てていけばよいのか求めているのも自己教育の一環にでしょうか。

人の本質はそう変わらず、むしろ幼少期のほうが本能の赴くままだと思うので、これを社会生活、仕事にも活用できればいいなと思っています。

50歳、60歳代は落ち着く時期とありますが、年老いて成功した人はいないかなと考えてみると、アメリカのカーネルサンダース氏がいますね。

ケンタッキーフライドチキンのFC事業を62歳で初めて12年で600店舗まで増やした鉄人です。

今回老年に入って成功した人、と思って調べてみたのですが、カーネルサンダース氏は実はいろんな仕事を渡り歩き、30代後半でガソリンスタンドを経営していたんですね。

ガソリンスタンド事業は失敗してしまったようですが、その時に併設していたカフェで名物だったフライドチキンの調理法をノウハウとしてFCを開始したということです。

これを知って、老年で成功したと思っていたカーネルサンダース氏も30歳のときに様々な仕事を経験し、事業を経営していたんですね。

その経験、実績がなければきっと62でFC事業をやろうとは思わなかったのではないでしょうか。

自己教育というと抽象的で難しいイメージがありますが、私なりに解釈しているのは目の前のことに一生懸命、真剣であることではないでしょうか。

仕事であれば、なんのためにやるのか、どうすればうまくできるのか、それらを真剣に考えていれば、日頃の生活の中でいろんなヒントに気づけるようになるんではないでしょうか。

いろんな誘惑が出てきますが、それらに惑わされずに、誠実に真剣に社会のために尽くすことを考えることに集中していきたいと思っています。

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