父親人間学
家庭の危機
戦後20年たったころから「親子の断絶」というコトバが叫ばれ、人間疎外とか父親不在とかいうコトバがいつしか流行り出しました。
このごろでは「家庭内暴力」や「校内暴力」が毎日のように新聞紙上に散見するようになっていますが、日本の将来と青少年の現状を思えばまことに深憂にたえない次第であります。
わたくしは先に「わが子の人間教育は両親の責任」と題して「家庭教育に関する二十一ヶ条」をとりあげ、そのいちいちにつき詳述しましたが、その書の二大支柱は「躾けの三ヶ条」であり「夫婦のあり方」です。
後者の「夫婦のあり方」と申しても、これは主として母親のあり方について力説したもので、家長たる父親を立てずして家庭教育はあり得ないというのが根本の主旨だったのであります。
ところで今日のように国全体に一種のユルミが生じて、社会的にも退廃的現象の頻発する時代にあっては、家庭教育においても、両親の確固たる信念と一致協力がなければ、非常に困難な時代に突入したと思うのであります。
すなわち子どもの教育を、単に母親に全く一任というだけでは、はなはだ片手落ちの感をまぬがれないのであります。
と言いましても、父親がいちいち事細かに小言や叱りつけを連発することは、これまた賛成し難く、否これこそ「父親軽視」のタネをかえって種蒔くようなものであります。
では家庭における父親の役割は何かというに、それは人生の見通しと社会的視野の広い立場に立った人生の生き方に基づき、家庭のあり方と子どもの育て方に対してその根幹となる、その方向を明示すべきでありましょう。
それ故日頃は決して放任ではないが、しかし直接に子ども躾けにとやかく口出しはしないことというのが常態であるべきで、子どもの日常生活の角目と将来の岐路については、よき相談相手として、また人生の厳しい大先達として、断固として方向を提示するのではなくてはならぬと思うのであります。
それ故子どもの小学校時代には母親が家庭教育の、とりわけ躾教育の主役を演ずるわけですが、中学生や高校生となると父親の果たすべき役割が次第に加重されてくるように思われます。
父親の権威
そもそも父親というものは、子どもにとっては、あまり理解されがたい存在であります。
母親の苦労というものは、日常の起居動作や働きを通して眼にする故、比較的認識されやすいのですが、父親の方は仕事の都合上、職場と家庭とが隔絶されている場合が殆どですから、職場における父親の姿に接することはほとんど不可能に近いと言えましょう。
ただ子どもが、父親の権威というものをそれとなく感ずるのは、父親に対する母親のあり方によるわけであり、それによって子どもも父親の存在の重さをそれとなく無意識的に感ぜしめられるわけであります。
もともと真の権威とは、権力を行使することによって生ずるものでなくて、そこはかとなき、人間的香気ともいえる人格と品位と力量によって自ら発するものであります。
それにしても、外で働く父親の苦衷のほどは、子どもには理解されないのはむしろ当然ですが、妻たり主婦たる人には、十分な洞察を願いたいものであります。
そしてこの点の洞察こそは夫婦間における根本でありまして、これは必ずしも女子大を出たから得られるというものではなく、否、大学卒の人にかえってかような洞察が働かなくなっているのが現状ではないでしょうか。
それはともかくとして、父親自身がおのおのの職場において精励刻勤するだけでなく、その家庭における起居動作をも慎んで頂かねばならぬ非常事態の世の中に突入しつつあるように思われてなりません。
これがおのずからしつけ教育の主役たる妻への絶大な協力を要する所以であるとともに、ひいては父親の無言の権威にもつながるものであると思うのであります。
生き方の種まき
先に父親の主要な役割の一つとして、わが子に対して人間としての生き方の方向を指示すべきことを申しましたが、これは言い換えれば、子どもに人生の生き方の種まきをすることとも申せましょう。
この「人間の生き方の種まき」ということは、父親に限らず、およそ教育と名のつくもののすべてに通ずるわけでありまして、教育の根幹はすべてこの一語に尽きるように思われます。
ですからわたくしは、「教育とは人生の生き方の種まきをすることなり」と機会あるごとに言いもし、書きもしているわけでありますが、とりわけ理想の父親像を思います時、この一語ほど適切なコトバは他に思い出し得ないのであります。
子どもの立場から、父親の真のエラさがそれなりに認識されるのは、まず齢40に達しなければわかりにくいかと思われますが、その場合に、子どもの心に印象づけられた父親の一語、もしくは父親像の一面なりとも種まきできているとすれば、父親としては以て瞑すべく、またもって卓れた父親と申してよいでしょう。
わたくしが多年親しくしております宮崎の眼科医の杉田正臣先生は、先年詩集「父」を刊行せられて今なお版を重ねておりますが、実に普及の名詩編と申すべきものであります。
その書におさめられた百編の詩は、ことごとく亡き父君に対する敬仰の一念であり、そこにしるされたご尊父こそまさに理想的人間像の一典型であり、またこれを編まれた正臣先生もまた現代における稀有の孝子と申されましょう。
人生二度なし
ところでわたくしは、生涯かけて「人間の生き方」について探求を続けてきたものですが、人間の生き方についてのわたくしの根本信条は「人生二度なし」でありまして、これはいわばわたくしの「なみあみだぶつ」であって、一枚看板なのであります。
わたくしの思想も、学問も、宗教も、すべてはこの「人生二度なし」の根本真理から発するのでありまして、いわば「人生二度なし」教とも、また「人生二度なし」宗と申してもよいほどであります。
それほどまでにわたくしは「人生二度なし」という真理こそ、人生における絶対的な根本真理と信ずるのであります。
と申しますのも、この「人生二度なし」という真理ほど、われわれ人間をして人生の深刻さ目覚めさす真理は、他には絶無と申してよいでしょう。
しかもこの真理のもつ今ひとつの長所は、それが何人にも分かりやすいということであります。
否、それどころか、この「人生二度なし」ということほど自明な、分かりきった真理はないとお考えの方が多いと思われます。
ところが物事というものは、つねに一長一短でありまして、そんなに分かりやすいということが、実は他の反面からは、案外分かりにくいということにもなるのであります。
ではどうしてかと申しますと、それは常に平生この真理を、いつもわが心に忘れぬようにしているということは、かえって大変難しいことだからであります。
それと申すのも、人間というものは、つねに人生の終末を見通して、それからひるがって、日々の生活を充実するように生きるということは、非常に困難なことだからであります。
ところで、われわれがこの「人生二度なし」という、一見したところ、分かりきったような真理を、常に心中深く捉えていないのは、わたくしたちの考えが未だ徹底していないからであります。
すなわち真に生きた宇宙観や人生観を持っていないからと申してよかろうと思います。
それというものも、すべて他人から聞いているだけでは、真に自分のものにならぬからであります。
少し結論を急ぎすぎたかの感がしないでもありませんが、要するに、父親としてわが子に残す唯一の遺産は、その人が「人間としてその一生を如何に生きたか」という一事に極まると思うのであります。
したがって、この本は、以下「父親としての」生き方が、問題の中心になるわけでありまして、その生き方を正す根源は、まず第一に父親自身がこの「人生二度なし」という根本真理に目覚める以外に道はないと思うのであります。
「森信三先生 父親人間学入門」 寺田一清著
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父親の有難さは、自分が父になって40歳になるとわかる、まさにそうだと、思います。
私自身、小さい頃は父は大きな壁であり、乗り越えるべき壁であり、まったく理解しようという気にはなりませんでした。
ですが、今、自分が父という立場になって、初めて親父の凄さ、ありがたみを感じるようになってきています。
年をとればとるほどそれを感じるようになっていくんですかね。
今、2歳半になる息子がいますが、特に中高生くらいになったら、それこそ、相容れなくなるんだろうと予感しています。
息子が40歳になったときに、初めて、いい親父だったなと思えるような生き様で生きていきたいですね。
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