子どもの躾は母親の全責任!!
学校はあくまで知識を授ける場であって、「人間」としての軌道に乗せる八割以上の責任は、結局生んだ者の責任として親自身で背負うほかありません。
なぜなら、例えばお茶の注ぎ方は人間としての最低のたしなみです。
お茶を注ぐには加減を見極める必要がありますが、この加減が実は「知恵」のひとつです。
しかし、女子大生であってもお茶の注ぎ方もままならない人も多く、以上の理由から、学校では人間教育は行っていないのが実態です。
だから、我が子の「人間教育」は家庭教育のほかありません。
しかも、家庭教育の直接の責任者は「母親」。
「父親」は家族を支えるための稼ぎに夢中にならなければなりません。
男性社会はいわばオス狼とオス狼の間で、一匹の野うさぎを血みどろになって取り合うようなものと言える世界です。
その勤務先で、上役はもちろん、同僚間、挙げ句には自分の部下に対してさえ気を遣わなければなりません。
女性はこのことを知らずに、男性にも家事や子育てを均等に分けようとするきらいがありますが、そうなると稼ぎのほうが疎かになって家庭そのものが経営破綻することになってしまいます。
だから、「人間教育」の真の基礎は家庭にあって、しかもその8〜9割は実に「母親」の責任があるのです。
では、家庭教育はいったいどうしたら良いのかというと、その根本はまず「躾」から始まります。
「家庭教育の心得21 母親のための人間学」(森信三著)1より
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学校教育は知識しか教えない。
全くその通りだと思います。
地理や世界史、日本史を学ぶことも大事ですが、人として立派に生きるためには二の次。
どんな子供になってほしいか?と子供を持つ親に訪ねて、歴史に詳しくなってほしい、世界の地理に詳しくなってほしい、という親はいないと思います。
優しい人間になってほしい。
強い人間になってほしい。
明るい人間になってほしい。
そう思う親が多いですよね。
逆境に耐えられる人間になってほしい。
それらは学校では間接的には教えてくれることになるかもしれませんが、メインで押してくれることでは無いと思います。
そう考えると親が教えて行くしかありません。
森先生は家庭の中でも母親に8〜9割の責任があると本の中で言っています。
これは子供に対する影響度からすると、みなさんうなづくことだと思います。
私も子供にはよく接しているほうだと自負していますが、子供が好きなのはやっぱり母親。
母親か、父親かというと必ず母親のほうに行きます。
だから母親が与える影響というのは本当に大きい。
最近は共働き世帯が増え、働くお母さんが仕事でも家庭でも活躍しています。
必然、お母さんが子供に接する時間は50年前に比べれば少なくなっているとは思いますが、それでもやはり子供にとっては母親が第一。
仕事でも活躍したい、子育てもしっかりしたい、という女性を支える制度、しくみも増えてきていますが、私自身はよほど覚悟を持って両立してほしいです。
仕事の代わりはいますが、子供にとって母親は一人しかいないのですから。
では父親としてできることはなにか。
家事と育児の分担をしつつあり、保育園に送り迎えをする男性も増えてきています。
森先生の考えとは異にしていますが、それが今の世の中の現実であり、私自身も同じ。
仕事第一に考えつつも、妻の負担も減らし、精神的な支えになるというのが今の私の理想の父親像でしょうか。
まだまだ実践できていませんが、気持ちだけは忘れないようにしようと思います。
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