しつけの三ヶ条
礼儀作法
森先生から教わった数々の内で、一番に挙げるとなれば「腰骨を立てる」ということです。
その次に、挙げるとなれば、この「しつけの三ヶ条」です。
しつけとは、礼儀作法を身につけさせることですね。
その礼儀作法にもいろいろあって、その礼儀作法を最も重んじたのは、道元禅師と思われます。
威儀三千といわれるほどで食事のとり方、洗面のあり方、手洗いや入浴のあり方にいたるまで、規律戒律を厳しく説かれています。
作法即仏法、仏法即作法といわれるほどです。
そのように「しつけ」は数多くあるわけですが、その中でも最も基本的なものを、三つに絞り込んで説かれたのは森信三先生です。
「しつけ三ヶ条」とは
一、祖父母や両親に、朝起きしたらあいさつの出来るように
二、祖父母や両親から名前を呼ばれたら「ハイ」と返事のできるように
三、脱いだ履物を自分できっちりそろえて上がり、立ったら椅子を机の下におさめられるように
これがしつけの三ヶ条です。
こんな簡単なことでいいのですかと、一瞬思いがちですが、これが多くのしつけの基本なのです。
この三つの基本が身についたら、あとのしつけが出来るようになるのです。
この三つは、人間の生き方の基本であり、これが人間が軌道にのる三ヶ条でもあるのです。
「あいさつ」の原理
さて、どうして「しつけ」はこの3つでいいのかとお考えの方もおられましょう。
大事なことはわかりますが、それがどうしてそんなに大事なことですか、とまだまだ探求せずにおられないお方もいらっしゃると思います。
これも「立腰」と同じことで、いくら功徳を説いても、やってみないとわからないというのが本当のようです。
ところで、そうは言っても理論的説明を、と望まれるお方のために一応のことを述べてみたいと思います。
第一に「あいさつ」についてです。
あいさつは漢字で「挨拶」と書きますが、辞書を見ると挨も拶も、迫るという意味です。
迫るというのは、相手に近づくことです。
一歩前進、半歩前進ということです。
明らかに後退でなく前向きなのです。
ですから「あいさつ」は、前向きな、積極心の表れです。
心の扉のたとえで言えば、閉じた心でなく、開かれた心の表れです。
また、あいさつは敬愛の心の表現です。
人間がこの地上に生きる上で、何より大切な最も基本の大事なことは、まずあいさつでしょう。人間社会に生きる上で、まず家族とりわけ祖父母や両親へ、朝のあいさつをするのが最も大事な基本だと思いますが、いかがでしょう。わかりきったこと、ありふれたこと、3歳の幼児でも知っていることだからバカらしいとは、言えないと思います。
何事も基本、基礎、土台が大事です。
かつて、卒業をひかえた中学3年生全員にお話しさせていただいたことがあります。
開口一番、みなさんおはようございます、と申しましたがあまり返事が返ってきませんでしたので、二度繰り返しました。
そして、今朝、おじいさんおばあさんに、お父さんお母さんに、朝のあいさつをした人は手をあげてくださいと申し上げたところ、おそるおそる手をあげた人は、250名中10名いるかいないかでした。
現代っ子の感覚として、同級生の気持ちをおしはかり、手をあげなかった方がいるとしても1割はおぼつかないのではないでしょうか。
それほど「日常のあいさつ」が軽視されています。
それは家庭でしつけられていないのです。
だいたいしつけという言葉すらが、一般に敬遠されてきました。
しつけという一語を毛嫌いしてきました。
おしつけというコトバがあるように、強制という語意を感じてきたからでしょう。
しつけはおしつけではないのです。
強制ではなく養成なのです。
人間として生きる上で、ぜひともこれだけは身につけておいてもらいたい最も基本の一大重要事なのです。
と言ってもあいさつが大事だからすればいいんだろうと、ふてくされてしょうがないから言うあいさつから、明るくさわやかに時処に応じた適切なあいさつにいたるまで、ピンからキリまであります。
表情・態度・声の質の面からも考えてみますと、たかがあいさつ、されどあいさつで、プラス百〜マイナス百の段階があるようです。
いま家庭でしつけられてなく、保育園、幼稚園でやっとしつけられ、小学校中学校でも、ましてや大学でもしつけられていないのです。
わずかに保育園・幼稚園で教えられ、わずかにクラブ活動で礼儀作法が教えられるだけです。
そしてそのまま社会に出て、就職した会社の職場でまた一から教育されるというのが現状なのです。
熊本県八代に超凡破格の教育者として注目された徳永康起という先生がおられました。
この先生のコトバに「あいさつ一つにいのちをかけるほどでなくては、教育の底は浅い」とあります。
それだけに、自転車通勤の途中、中学生徒一人ひとりに、後から元気のいい声をかけ、校門であいさつ、校内で満面の笑顔であいさつされ、生徒と毎朝、握手の交流をかさねるという実践教育者でした。徳永先生を思うたびに、あいさつは愛なり察なりと思うのです。
「ハイ」の原理
つぎに、「ハイ」の返事です。
名前を呼ばれても返事をしない児童・生徒が増えています。
大学の現場は知りませんが、多分ひどいものでしょう。
授業中に、私語どころか携帯電話で話をするなんて、考えられないことです。
森信三先生も七十歳から神戸の海星女子大教授に就任。
それから十七年間つとめられました。
授業はじめに瞑目静坐によって立腰のたねまき、そして出席のよみあげで、ハイの返事を強調されました。
授業に入る前段階の導入部で、多年苦心をされたとのことでした。
森信三先生においてしかりで、教育のむつかしさを痛感する次第です。
さて、「あいさつ」は自分から他者に近づくあり方ですが、それに対し「ハイ」は他者からの呼びかけに対応するあり方です。
その対応のあり方で最も基本であり、簡素で美しいコトバは「ハイ」です。
ハイは「ハ」音と「イ」音の合体です。
ハ音は解放です。
イ音は緊縮です。
ですからハイは、開閉を意味し、たしかに聞き取ったという確認の表れです。
またハイは拝です。
「あいさつ」は能動的なのに反し、「ハイ」はしいて言えば受動的なのです。
この受動体において、最大基本のうつくしい対応が、ハイなのです。
「ハキモノ」を揃える
つぎに、「履物をそろえる」について考えてみましょう。
自分の脱いだ履物をそろえるということは、端的にいって、シマリ・後始末をつける、ということです。
自分で自分を律するという点で、自制力と自律性を意味します。
自分をひきしめ自らを律する上で、最も基本的な所作だと思います。
そして自分の履物だけでなく、そのついでに人の履物もそろえることができたら、何よりすばらしいと思います。
旅館の大浴場でのスリッパは、いつ見ても乱れがちですが、これはつとめて揃えるようにしています。
わたくしは、履物そろえだけは、さっと手が自然に動くのです。
それは毎日、一家の下足番をしていますから、手慣れたものです。
ところで森先生のコトバを借りますと、履物をそろえることは、経済のシマリにもつながると仰せです。
足元の乱れは、心の乱れの何よりの証拠。
心の乱れは、財布の口の開けっぴろげにつながると言えましょう。
おもしろいざれ歌をつくりました。
しつけの「し」は しまりのし
しつけの「つ」は つなぐのつ
しつけの「け」は けじめのけ
礼儀作法の躾が今少し見直されるようになりかけました。
文部省でも教育の荒廃がその極限に達したとみて、先般「家庭教育手帖」と「家庭教育ノート」を発行配布しました。
それに一応眼をとおしましたが、やはり根本は「しつけ」の重視です。
それをオブラートに包んで飲ませたい意向ですが、一番読んでほしいご家庭では、見向きもしない現状でしょう。
以上、「しつけ三ヶ条」について不十分ながら述べてきました。
今ここでまとめていますと、
一、あいさつは、前向き、積極、親近性の表現
二、ハイの返事は、対応・交流、呼応性の表現
三、はきものは、自主、自制、自律性の表現
このように「しつけ」の大切さ、どうしてこの三つかについて一応述べたように思います。
「三つのしつけ」 ー親も子も共に育ちましょうー 第四章(寺田一清著)
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あいさつとハイの返事は子供にさせていましたが、履物をそろえる、というのはさせていませんでした。
効果については文章で書いてある通りですが、そんなものはすぐに実感できるものではないですね。
森信三先生という偉大な教育者が、その実行をすすめるのですから、信じて躾けていくしかないと思います。
靴をそろえることは自分自身もやってきませんでした。
息子の手本となるために、最近やりだしましたが、自分の靴が揃えられていると気持ちがいいですね。
息子が、履物をそろえることをやったり、やらなかったりすることが往々にしてあります。
やらないときは、玄関でやりきるまでじっと我慢です。
息子が部屋に入ろうとするところを、呼び止めて「お靴そろえてね」と言います。
それでも息子はそろえない。
じっと我慢です。
しまいには部屋に入りたいと泣き出しますが、それでもそろえるまで我慢。
息子が根負けしてそろえたら「よく靴そろえられたねー!きれいだねー。すごいねー!」と褒めちぎります。
根気の勝負。
息子の教育を通じて、自分自身の成長にもつながります。
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森信三先生講述から選んだ1〜30に及び、語録をお読みになられ、いかがお感じになられたでしょうか。