腰骨を立てる
まず腰骨のことからお話ししましょう。
私という人間は、幼いときから身体は弱いばかりでなく、頭も丈夫でなく、実に物おぼえがわるく、それでいて負けず嫌いでした。
ですから努力は人並み以上にしました。
親から言われなくても、へばりついて勉強しました。
当時はこれをカマボコといいました。
机の板にひっついての勉強タイプ、しかも脳力体力ともに弱く青びょうたん。
しかも負けん気だけは強い。
だいたいご想像いただけるでしょう。
だから、劣等感のかたまりでした。
優劣・賢愚の比較相対の思いは人一倍強かったと思います。
ですから今でいうイジメの対象としてはもってこいの一つのタイプだったでしょう。
自分のアタマや能力の程度も考えないで、当時としては一流の学校を目指し、受験しましたが、すべて失敗でした。
失望と挫折の連続でした。
振り返ってみますと、机に向かう時間量はけっこう長いのですが、集中力がないものですから、学力がいっこうに身に付いていないのです。
お釈迦さんのお弟子に周梨槃特(しゅりはんどく)という愚かな鈍な坊さんがおりました。
また近江聖人とたたえられる中江藤樹先生のお弟子に、これまた記憶力のわるい大野了佐という門弟がおりました。
私は槃特や了佐にたいへんに興味をもち、どういう風に何を教えられたかということに大いに関心を抱いたものです。
ですから色々あれこれと本を読み漁り、宗教的なことにも心ひかれていきました。
両親のかかわる修養団体や宗教団体にも、おのずから深入りしました。
かっこうのいい言葉でいえば求道遍歴をかさねました。
しかし一向にラチがあかなかったものです。
一宗一派になじめないものがありました。
だいたいそうした過程を経まして、昭和40年2月38歳にして森信三先生に出会ったわけです。
私の念願する師の条件、必要にして十分な条件をみたすに足るお方、わたくしにとって及びもつかぬ師父に出会うことができました。
立腰とは
そこで一番にピンときたのが「腰骨を立てる」ということです。
・心をシャンとしようと思うならば、まず身を立てること。
・身体の肝心なカナメは、腰骨にある。
・腰骨を立てることによって集中力・持続力が身に付く。
今まで、意欲があり、やる気があっても、一つの成果も実にすることができなかったのは、この腰骨の要訣に気づかなかったためでした。
38歳にしてやっと、この一大事の気づきをいただいたのです。
それ以来、きょう今日まで、この立腰だけは心がけて参りました。
それだけでなく、この立腰のたねまきについて微力を注いで参りました。
まず腰骨を立てる、すなわち「立腰」の要領について述べますと、
一、まずお尻を後ろに突き出す
二、腰椎を、おへそのほうへ突き出す
三、後方と前方との方向の交わる一点を切り結ぶ
この腰骨の一点をキリッとさせるということです。
この一点のネジをしめあげるという気持ちです。
腰骨を立てるということは、従来の姿勢を正すことにつながるのですが、全身を緊張させることではなく、腰骨の一点を押さえ、ここをキリリとしめあげるということです。
肩や手に力を入れないで、全緊張をこの腰骨の一点に集中させるという要領なのです。
「なぁーんだ。これぐらいの事か」とお思いだと思いますが、ただこれだけの事です。
至極カンタンな事です。
ただこれを朝から晩まで目覚めている間は、立て続けるということです。
立腰教育のお手本
身体に関することは、言葉で言っても通じにくいものですから、右手のてのひらのたなごころの肉の厚いところで、上から下へ腰骨部分をなでおろしてあげるのです。
これを着実に毎日くりかえしておるのが、立腰教育でその範を示す、仁愛保育園です。
「腰骨を立てます」という保母のひと言で、椅子にこしかけた保育児が一せいに、眼をつむり、腰骨を立てるのです。
そして保母さんが、いちいちひとりひとりの腰骨をなでおろして回るのです。
そして朝礼の時から終礼の時にいたりますまで、食事や午睡前後・運動・学習・音楽・遊戯のすべてにわたり、立腰のしつけを結びつけて、種まきをしておられます。
仁愛保育園の石橋富知子先生が、それまで、園の教育方針に、何か一本の中心となる柱がなくて、物足りなさを感じておられたところ、森信三先生から教えられた「立腰」に加えて「しつけの三原則」を、仁愛保育園の習得目標に掲げられました。
一、つねに腰骨をたてる人間に
二、あいさつは自分から先に
三、返事は「ハイ」とはっきりしよう
四、はきものはそろえ、イスをいれよう
この四つの習得目標のうち、二、三、四は申すまでもなく、森先生の提唱せられた「しつけ三ヶ条」です。
この保育教育の四大方針が決まってからは、仁愛保育園もまさに蘇り、それに加えて、森信三先生も、年にいくたびとなく足を運ばれ、保育の状況をつぶさにご覧になられると共に、ご父兄に、はたまた保母さんに幼児教育の重要さとその要所急所とその方法について力説せられました。
まさに仁愛保育園は、森信三先生の教育方針のモデル園ともいえるようになり、現在に及んでいます。
そして今なお、園の見学者は絶えないわけですが、森先生曰く、仁愛保育園を見学するには前夜に泊まられ、登園状況そして朝礼風景から見なくてはなりませんよと、よく仰られました。
立腰のたねまき
要するに「腰骨を立てる」ということは、二本足で立居振舞う人間の基本の体型です。
あの幼児の歩きはじめの姿を想い浮かべて下さい。
後にお尻を出し、腰骨を前に突き出してバランスをとり、二歩三歩と歩きはじめるじゃないですか。
あれが立腰の基本姿勢です。
そして一番すぐお聞きになりたいのは「立腰」の効用、「立腰」の功徳じゃないですか。
現代人はすぐ、結果なり効果をもとめやすいのですね。
もちろん私もその一人ですが、確かにその効能はあります。
1.集中力がつく
2.忍耐力がつく
3.持続力がつく
4.平衡力がつく
5.判断力がつく
6.適応力がつく
だいたいこうしたものでしょうか。
すべて一朝一夕に即効的な結果は得られなくとも、一年、三年、五年とつづけると、必ずその確証は得られるものと思います。
そうとなれば、すぐわが子に躾けたいと思うのは親心ですが、そうはカンタンにいかぬものです。
言葉で「腰骨を立てなさい」と百万べん言ったとしても、ますます反抗的になるばかりで、馬の耳に念仏、馬耳東風です。
かえって逆効果です。
私も森先生から立腰の一大事をお聞きし、自分も気づいたものですから、さっそくわが子にしつけようとしましたが、ものの見事に失敗しました。
というのは、躾には適期、適当な時期があるのです。
しつけというものは、「つ」のつく間にと言われているように、三つ子の魂百まで、とも言われているように、極端に言えば、小学校入学以前にしつけねば躾は出来ないとも思われるほどです。
それほど適期をあやまると、労多くして効は少ないと思えますが、それでも教育は、生き方の種まきですから、たとえ、その即効はなくとも、種まきの努力を怠らないというのが、親たり教師たる者のつとめではないかと思われます。
教育というのは、手抜きは許されません。
これだけは何とかして、子どもの魂に種まきだけはしておきたいという祈りであり、心願です。
森先生の言葉に
・教育とは流水に文字を書くようにはかない業です。しかし、これを岩壁に刻み込むような真剣さで取り組まねばなりません。
・子どもの教育について、母親ほど絶大な忍耐を要するものはなかろう。
とあります。
かねてから、「立腰」の種まきとして、絵本を通しての願いを抱いておりましたが、多年の念願の結晶としてこのたび、『元気いっぱい 立腰の子ら』と題して、登龍館のご協力のもと、発行することができました。
腰骨を立てることが、日常の生活の上で大事であるだけでなく、また学習面や運動面の上でもその相関関係を、共に学んでいただきたいと思います。
そのほか「立腰」に関する参考書としてご紹介いたします。
☆ 「性根のある子にする極秘伝」 ー立腰教育入門ー
☆ 新版「立腰教育入門」
「三つのしつけ」 ー親も子も共に育ちましょうー 第三章 (寺田一清著)
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まずは自分自身から、と思い座っている時や、電車に乗っている時に腰骨を立てるようにしています。
気づくとすぐに緩んでしまっているので、本当に油断なりません。
気づいたらすぐに腰骨を立てるようにしています。
大事なのは理解しているのですが、家庭内において、子どもにどうやってしつけるのかが難しい。
言って聞かせるとすぐにやりますが、続きません。
耐えきれずすぐに動き出すし、寝転んでしまいます。
息子は2歳半ですが、皆さんはどうなんでしょうか?
もし家庭でお子様にきちんと立腰の姿勢を保つことに成功できている方がいらっしゃいましたら、是非その方法を教えていただきたいと思います。
今できることは、とにかく、まず腰骨を立てるという感覚を教えて、姿勢が崩れてきたらた背中をすっとなでようと思います。
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