四 仕事に賭ける
男・女の相違
仕事について申す前に、この世における男女の受け持ち分担の相違について申したいと思います。
戦後我が国の社会では、「男女同権」の思想が大きく取り上げられた結果、ともすれば男・女間の相違を無視し、または軽視する風潮が今なお尾を引いているということは、まことに憂うべき状態です。
戦後、かのマッカーサーによる占領政策の一環として「男女同権」を打ち出したのは、主として法律上男女が「同一資格」であることを明らかにしたものであって、それを法的に確立したのです。
男女の人格的平等は、もちろん正しいことなのですが、しかし問題はそれだけに留まらないで、さらに男女両性の分担というか、受け持ちまでも同一であるかのような錯覚を生じ、そのために今や女性の間に、その錯覚が次第に氾濫しつつある状態なのです。
もともと男性の役割というものは、原始の自然原理に遡って考えてみると、世間に出て他の男性と格闘しつつ妻子を養う物資を手に入れることがその主たる任務であり、これに反して女性の方は、子供を生み、はぐくみ育てるのがその任務であります。
ですから、男性にとって一番大切なことは、自分の「職分」に対する自覚と、その取り組み方の真剣さということであり、また女性の側にあっては、子どもを生み、我が子を立派に教育するということなのです。
職分の意義
ところで職業というものは、
1 衣食の資を得る手段・方法である上に、
2 人間は自己の職業を通して世のために貢献し、
3 かつ自分なりの天分や個性を発揮する
という三大意義を持つものですが、この第3点については、現代社会を鑑みると、必ずしも現在の職業が自分の個性を発揮するには不向きだと思いつつ、やむを得ず現在の仕事を続けている、という人も、かなりの程度にあろうかと思われます。
そのうち第一の、職業によって衣食の資を得、それによって家族の生活を支えてゆくということは、男性としては何よりも大事な第一の根本的義務といっていいと思います。
ですから男子としては、何よりもまず家族の生活を支える義務があるわけで、もしそれがイヤだったら、最初から結婚などすべきではありません。
たとえば、カトリック教では、今でも「神父」と呼ばれる人には、独身制が厳しく守られていますが、それは結婚して家族を持つと、自分の家族を食わしてゆくために、宗教家としての奉仕活動に純粋でなくなることから生じた制度といってよいでしょう。
以上、男子はいったん結婚した以上は、妻子を養う義務を生じ、結局職業に従事することによって、家族を扶養することが出来るだけでなくて、さらに自己の職業を通して社会生活に参加し、社会のために尽くすことができるのです。
職業天職観
ところで人間社会の巨大な仕組みを考えるとき、私は西洋の優れた思想家たちが職業の意義を重視してきたことに対して、深い敬意を払わずにはいられません。
それというのも西洋では、職業というコトバの原意はVocationといって「使命」とか、さらには神による「召命」という意味です。
つまり西洋社会では、職業とは人間が神から命じられたものという考え方が、その根底にあるのです。
こうした深い職業観は、日本の現状では、そのままに当てはまらない部分があるにしても、十分に敬意をはら払わずにはいられず、先に私が職業というべきところを、特に職分と申したのもこれが理由です。
このように職業というものが、その根源においては神につながるという考え方は、多少古くさいと思う人もいるかもしれませんが、しかし私は、そこには実に深い永遠の真理があることを信じて疑いません。
同時に、われわれ人間がその個性を発揮するには、いつ如何なる時代にあっても、結局は各自の職分を通してする他なく、それはいわば永遠の真理であって、人は職業以外の道によって、その個性を発揮するということは、ほとんど不可能に近いとさえ思うのです。
仕事と立腰
したがって男性は、自己の職分に全力を傾注するべきです。
言い換えると、自分の仕事に全生命を賭けるべきです。
それゆえ仕事を、正当な理由無くして休んだり怠けたりすることは、人間としても、また男性としても、大いに恥ずべきことなのです。
それゆえ、官公庁と民間企業とを問わず、ビジネスマン社会において欠勤・遅刻・早退が厳しくチェックされるのは当然で、このようでは人間社会の落伍者となるでしょう。
さて「仕事」に取り組む態度の問題ですが、第一にはなんとしても肝要なのは本気ということで、また積極的態度ともいえるでしょう。
第二に集中統一、第三は耐久持続ということが問われると思うのです。
しかもビジネスマン社会にあっては、単にそれだけでなく、方法なり結果がつねに問題となるわけです。
仕事に取り組む方法論としては、
1 仕事の大小、軽重をよく認識し、仕事の手順を間違えないこと。とりわけ小事を軽んじないことが大事でしょう。
2 できるだけ迅速にして、しかも正確を期すよう務めること。
3 常に問題意識をもち、仕事の処理に関する創意工夫を怠らないこと。
4 他との協調・協力を惜しまないこと。
5 さらに結実の成果を上げることは必然であり、つねに社会なり、組織体への貢献度の如何が問われるわけです。
以上挙げてきた仕事の条件の他にも、さらに複雑多岐にわたる人間関係がありますので、大変といえば実に大変なわけです。
洞察力と企画力と行動力をつねに回転せねばならぬからで、少なくとも仕事に賭けるビジネスマンにとっては、心・身の中心軸をよほど強靭にしておかないと、その全力回転には耐えられなくなるということになってしまいます。
立腰の徹底
そしてその中心軸を強靭にする唯一の方法は、立腰すなわち「腰骨を常に立て通す」ということなのです。
この「立腰」については、私は過去二十年来学校の先生方や生徒にまたご父兄方に、事あるごとに説き、「立腰教育」を提唱し続けてきた者です。
私としては「人間に性根を入れる極秘伝は何か」と問われたら、それはつねに「腰骨を立て通す以外に道はなし」と答えることにしております。
さて、この「立腰」につきましては、すでに「性根のある子にする極秘伝」に詳しく述べているので、ぜひとも一読していただきたいと思います。
この書は子どもの「立腰教育」について述べてあるだけでなく、人間としてその「生」を全うする上においても、いかに「立腰の習得」が大事な必須条件であるかを説いたものです。
なおその原理と方法の概略を申しますと、「立腰」は、東洋古来の「禅」の伝統につながる修行道で、これこそ人間の主体性確立の唯一の方法です。
なおこの「立腰」によって、集中力、持続力、実践力が身につくわけで、それは人間は心身相即的存在であるとの原理に基づくものだからです。
ついでその方法ですが、腰骨を立てるといっても、旧軍隊式の直立不動の姿勢ではなくて、
①尻を思いっきり後ろに突き出し、
②反対に腰骨をウンと前に突き出す。
③そして、下腹の臍下丹田に心もち力がこもるようにする
ということです。
コトバで言うと、ただこれだけのことですが、これを日常の起居動作において身に付けるということは実に容易でなく、これも生涯をかけての修道です。
これは座禅や静坐においては申すまでもなく、剣道や弓道から朗詠・舞踏ならびに茶道・華道にいたるまで、すでに説かれるもので、およそ道と名のつくものの総てに通ずる根本的な真理なのです。
「森信三先生 父親人間学入門 4」 寺田一清著
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男性は仕事に没頭し、女性は家を守り、子どもを育てるという性別上の役割分担があるというのはなんだか最近わかるような気もします。
以前は、男女ともに同じ仕事をしていくべきだと思っていますが、結婚して家族ができるとその認識は変わりました。
子どもにとって母親の存在はとても大きく、乳児期、幼児期に母親が近くにいないというのは、子どもにとってかなり大きなことなんではないかと思います。
保育園に預けられるような世の中になっていますが、やはり子どもたち一人ひとりを見て慈しむという面においては母親の持つ母性に適うものはないと思います。
女性は仕事をするなとは言いませんが、夜の18時まで保育園に預けっぱなしというのではなく、16時位には引き取って子どもと一緒に遊ぶ時間なりを設けたほうがよいのではないかと思うようになっています。
さて、男性の仕事。
働く男性にも立腰を説くとは思っていませんでした。
ですが、考えてみると大人こそ必要なのかもしれません。
座禅から由来する立腰は、もともと精神を統一するために行うものであり、めまぐるしく忙しいビジネスマンこそ必要なのでしょう。
私自身も立腰をするようになってからは、クレームやら何かことが起きても心の平静さを保てることが多くなりました。
また、集中力もつき、てきぱきと仕事ができるようになっています。
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