我が子をどういう人間に育てたいのか
私も全国を旅して、父兄の方々と話をしたものの一人ですが、その際、よくお母さん方にお尋ねしたものです。
「あなたは我が子を、一体どういう人間に育てたいと思いですか」
あまりにとっさなことなので、大抵の人はしどろもどろなお答えをいただきます。
ただ、我が子の家庭教育においては、いったい何を中心目標とするか、それがはっきりしていることが非常に大切だとおもいます。
しかし、実際にはこの点を確立してきるご家庭は、意外と少ないのではないでしょうか。
弓を射る場合に、的がなくては意味がありません。
我が子を育てるのに「どういう人間になってほしい」という目標がはっきりしていないようでは、親としての務めを果たせないのも当然です。
実際には、親御さんの中には、かすかながらも心に念じている我が子への願いは、大なり小なり持っていらっしゃると思います。
ただそれを目標として、はっきりと言葉にして確かめることが足りないだけなのだと思います。
どの的を狙う?
では私自身は、我が子に対して一体どんなことを常に念じてきたかと言うと(普通、人様に向かって言うことではありませんが参考までに)
1 他人はもとより身内の者にも、一切人に迷惑をかけない人間になってほしい
2 その上に、もしできることなら、多少とも人様のお世話のできるような人間になってほしい
という二つです。
たわいもないことしか考えてない、と意外に思う方も少なくないかと思います。
しかし、私くらいの年配になると、この世の中のことがひと通りわかってきます。
若い頃のように、ただ理想を高く掲げさえすればそれでよい、とは思わなくなるのです。
そして、なんとしても最低の基盤を固めることの重要さに気がつくようになります。
そうした考えから出てきたのが、ここに掲げた、きわめて平凡な事柄なのです。
私の考えでは、これが人間の最低基盤であって、これより下に落ちてくれては絶対に困るのであり、なんとしてもこうした人間としての最低基準だけは確保できるような人間になってほしい、と念ぜずにはいられないのです。
そして、そうした基盤の上に、できれば周囲の人から信用されて、頼もしい人間と思われ、時には人々の相談にも預かることのできる人間に、なれるものならなってほしいということなのです。
私はこうした二つの願いを、我が子に対して、常に人知れず心の底に持ち続けている次第であります。
ただ、小・中学生の生徒さんたちに話す際には、あまりに低すぎる印象を与えてしまうのを恐れて大体このように言っています。
1 自分がいったん決心したことは石にしがみついても必ずやり抜く人間に
2 ほんのわずかなことでよいから、常に他人のために尽くす人間に
さて、このように言うと、「人間の心得としてたった2つのことでよいものかしら?」と思う人が少なくないかもしれません。
もちろん、他にも人として大事なことはたくさんあるということは知っているつもりです。
ただ、それらをギリギリのところまで絞って、最後に残るものは何かと突き詰めてはっきりさせるほうがより大事だと思うのです。
そして突き詰めた挙句が、先ほどの2か条の目標となったのです。
そこで、親御さんがたにはこの根本2か条を参考にして、ご夫婦でよく話し合っていただきたいのです。
そして、「私たちは我が子をどういう人間に育てたら良いのか」という根本方針について、一つの結論に至るまで二人で練り上げていただきたいのです。
こうした、我が子に対する親の「心願」とかは、何も子どもに言わなくても、その思いの深さに応じて、いつしかにおいのように、自然と伝わるものだと思います。
そしてそもそも「心願」というものは、心の奥深くにひそかに「願をかける」ような気持ちで念じる心です。
従って、親はその念じている事柄を直接わが子に話してはなりません。
というのも、もしうっかりして、それを子どもに話してしまったら、もはや「念じる」力は消え失せてしまうからです。
ですから「○○ちゃんたらーーーお母さんはいつもあんたのことをこんなに思っているのにーーーー」などというコドバは、親としての最大の禁句です。
子どもというものは、親が常にその心の内に念じているものにちかづくものということを、言い添えて終わりにします。
「家庭教育の心得21 母親のための人間学」(森信三著)7より
ーーーーーーーーーーーーーーー
子どもをどんな人間に育てたいのか。
妻と話したことはほとんどありませんね。
漠然と、礼儀はしっかり教えないと、とか正直に、とか強い人間に、とおもうところはあります。
ただ、妻と意見を分かち合って、話し合うというところまで、突き詰めたことはないですね。
それから、一度だけ妻とどんな子どもにしたいのか、ということについて話をしたことがありました。
案の定、お互いに考えは漠然としていて、明確にこれだ!というものはなかった。
子どもは、父親と母親の価値観(大抵の場合差があるもの)で価値基準を教わっていく。
それなのに行き着くところがが明確になっていない。
子どもからするとたまったものではないですよね。
ごめん、とそのときは思いました。
まだ二人の意見は煮詰まっていないですが、理想の姿を明確にしていこうと思います。
関連記事
-
子供には小さいときから礼儀を教えよう
礼儀は世の中に常にあり、人として生きる作法です。 礼儀がないのは人間の作法ではありません。動物
-
「寒さと飢えが子供を丈夫にする」 江戸時代の子育て本 和俗童子訓(貝原益軒)3
<和俗童子訓の現代語版 3> 厚着や、飽食は、病気の元です。 薄着で、小食であれば、病気
-
「詰め込み教育をするべきである」 江戸時代の子育て本 和俗童子訓(貝原益軒)6
子供が小さいときから、父、母、兄等の年長者に仕えさせ、お客様に対しては礼をもって応対し、読書、習字、
-
夫婦は1日に1度は二人だけで話す機会を
家庭教育について、その根本をたぐっていくと、結局、夫婦のあり方に帰着するように思われます。 そして
-
親の言うことをよく聞く子にする秘訣 躾の根本原則三か条の徹底
躾の根本は三つの事柄を照っていさせれば、人間としての「軌道」にのせることができます。 たくさんのこ
- PREV
- 夫婦は1日に1度は二人だけで話す機会を
- NEXT
- 立腰(腰骨を立てる)は性根を入れる極秘伝