テレビ対策を根本的に確立すべし
テレビ問題
現在わたくしが、家庭教育について最も憂慮に堪えないのは、実はこのテレビ問題なのであります。
今日このテレビ問題を軽視している人がもしあったとしたら、その人に子どもの家庭教育について云々する資格などあるものか、とさえ申したいほどであります。
それほどわたくしはこのテレビ問題を重視し、これに対する根本態度を確立する必要を痛感しているものであります。
もっとも人々の中には、それほどテレビを目の敵にしなくても、テレビにもなかなかよい番組もあって、見ると教えられる点も大いにある、と言われる人もいるでしょうし、それにもまた一理がないわけでもないと思います。
しかし私の申したいのは、そのような番組の選択眼がどうであろうとも、もっと根本的なところに実は重大な問題があるのに、そうした根本問題について、一通り見識のある人さえ、ほとんど看過している現状は、実に深憂に堪えないのであります。
現在我が国の大方の家庭において、子どものテレビ問題は、もしそれを冷静に大観したとしたら、実に由々しい極みと申してよいでしょう。
まずそれを時間の方面から考えましても、少なくて一時間半、多くは二時間半、ひどいのは毎日三時間半前後もテレビにうつつを抜かしているに至っては、まったく正気の沙汰と言えない気がいたします。
いわんやその番組、チャンネルの争奪に兄弟喧嘩をしたり、時には親までが子どもとの間で、しばしば気まずい思いをする場合さえあるというに至っては、それでいったい「家庭」などといえるものかと長嘆息を禁じ得ないのであります。
そしてそのために現在では一家に一台では足りないとして、一軒で二、三台ものテレビを常置している家庭さえ必ずしも珍しくはないとのことであります。
テレビ公害
ところで、このテレビというものは、いわば常設映画館の家庭向きの小型版ともいうべきものでありまして、現在我が国の家庭ではいわば朝から夜に至るまで全家族員が、この小型の常設映画館へ入り浸りといってよいでしょう。
したがってこれが「人間教育」に対して、いかに重大な悪影響を与えているかは、いまさら事新しく言うを要せぬのであります。
人によっては今日のテレビは一家団欒の主役を演じているなどという人もあるかもしれませんが、これこそ実に毒物を砂糖にまぶした怪しげなインチキ論であります。
論より証拠にテレビのために今日、夫婦・親子・兄弟等の間に正常な家族間の対話というものが、ほとんど見られなくなっているのではないでしょうか。
それのみか、何よりも深憂に堪えないのは、大事な子どもたちへの影響です。
まず第一に、あの低俗浮薄な番組、かつ悪の種まきともなりかねない番組内容から受ける幼い子らへの「心の公害」に至っては、まったく戦慄を禁じ得ません。
しかし仮にそれをカッコに入れるとしても、テレビのために子どもたちは、ますます読書の習慣から縁遠い人間にされている事実は、いったいこれをどう考えたらよいでしょう。
改めて申すまでもないことながら読書というものは、ある程度人間の積極的な集中力を必要とするものですが、テレビに至っては、まったく受動的消極的で何らの努力をもしないまったくのふぬけ人間に、子どもたちを変えてしまう実に恐ろしい悪魔の魔術の現代版というべきものであります。
それゆえこれも改めて言うを要せぬことながら、テレビこそは家庭学習を妨げつつある最大最強敵なのであります。
それゆえテレビは、受験期を控えている子どもを持たれた親御さん方にとっては、日夜やむ暇のない頭痛の種と申してよいでしょう。
事実テレビがお子さん方の勉強時間を侵犯しつつある現状には深刻なものがあり、親御さん方としては心中時間の空費を憂えながら、今日では親も子もともに、どっぷりと「テレビ中毒症」につかりきっている家庭が、非常な数に達していると申してよいでしょう。
とりわけ進学受験を控えた子どもさんがあるのに、たとえ部屋は違っているとしても、家族がテレビに打ち興じているということは、なんとういう心ない所業かと思わずにはいられないのです。
たとえその期間だけなりと、家族全員の話し合いによって「自粛」してあげたいものと思わずにはいられません。
今日これほどまでにテレビが、各家庭の時間を強奪し蹂躙しつつあるのが現況でありまして、いまやこの段階に至っては、もはや一大英断をもってなんとかテレビ対策を、各家庭において確立されるほか無い段階が迫りつつあると思うのです。
少なくともわたしはこのテレビ対策をもって「家庭教育」における最大の急務と考えている者であります。
テレビ対策
そこで次にはこれに対処すべき対策いかんという難問題ですが、実はわたくし自身も、この難問に対しては、誠に適切な根本的対策は見いだしかねている次第ですが、次に卑見の二、三を列挙して、ご参考の一端に供したいと思います。
一、幼児、テレビには絶対に近づけないこと。
万一これを怠ったら、その子の視力は一生損なわれて弱視者となる。
二、子どもにはテレビを見ない癖をつけるのがよいが、仮に見るとしても、一日に子ども番組一つで、せいぜい30分くらいにして、それを厳守させること。
三、テレビは、宿題の済むまでは絶対に見ない子にすること。
四、テレビのチャンネルは祖父母がおられるときは祖父母の選択を第一に、また祖父母のいない家では、父親の選択を第一にすること。
五、テレビの置き場所を、断固、応接間(または老人の部屋)に変更すること。(さしあたりこれが最上の策)
心ある家庭では、以上の他に、週に一日「テレビの断食日」を設ける。つまりその日は全家族が「テレビを見ない日」として家族一同が厳守。
以上の五か条が、いったいどこまで守れるかどうかが、その子の一生の運命の分かれ道となるといってよいでしょう。
それゆえ家庭も、学校も、強力に歩調を合わせて、全教育的焦点をこの「一点」にしぼって、教育上最大の「公害」たるこの「テレビ公害」の根切りに取り組まねばならぬと思います。
もしそれ、子どもたち自身の相談と申し出によって、テレビ自粛の声が立ち上がるような家庭が、一軒一軒と増えてゆくようになったらと願わずにはいられません。
ついでながら私は、現在83歳の独り暮らしですが、テレビは一切見ないで、というより、テレビを置かず、今なお日々の仕事に打ち込んでおる者で、私自身はテレビ公害とは全然無縁の存在なのです。
「家庭教育の心得21 母親のための人間学」(森信三著)19より
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テレビは本当に害毒が大きいですね。
私自身はテレびっこで、さらにゲームっ子ですが、テレビとゲームに費やした時間を考えると、自分の人生の半分を構成していたかもしれません。
特にテレビは視聴率競争ということで、日常ではない内容も多く放送されています。
とくに、あまり良くないニュースや悲しいニュース(殺人や自殺、事故、芸能問題)などが多く放送されていて、それを子どもたちが見ていい影響があるわけがありません。
まっさらな幼児においては、心にはっきりとその内容が残ってしまうと思います。
その影響たるや、子どもの人生に大きな影響、しかもよくない大きな影響を与えてしまうと思います。
うちではなるべくテレビを見ないようにします。
食事中は当然、見ません。特に子どもが見るとご飯が進まなくなるからです。
教育テレビで、土曜の朝から放映している、おさるのジョージ、ひつじのショーンだけは見せています。
そのときの息子の顔を見ると、それはもう見入っています。
テレビは受動的なので、自ら考える必要がなく、特に子どもは無批判に取り入れるので本当に注意したいです。
小学生くらいになるとテレビゲームなどが欲しいと言ってくると思いますが、断固として買い与えることはしないつもりです。
自分自身は、小学生のころ、それはもうゲームばかりやっていたので自分のことは棚に上げて、になりますが、自分で体験していたからこそ、子どもにはゲーム浸りの生活を送ってほしくないからですね。
周りの友達はほとんどみんな持つようになると思いますが、子どもが泣いて頼んでも、子どものためを思って心を鬼にして買わないつもりです。
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